朽木冬子。

 井の頭公園に向かうため、吉祥寺駅で降りる己。普段使わない駅だからどこから出れば分からず、途方に暮れているところ、「どうしたんだい、時坂さん?」と後ろから顔を覗かせてくる、白い制服を着た女学生。カラスの濡羽色のように艶のある美しい黒髪と、長い睫毛が特徴的な子だ。

 やれやれ、探偵なのにだらしないね。と呆れつつ、こっちに着いてきてくれ、と、己の手を握ってくる。小さくサラサラした手に触れ、内心ドキリとしつつ、己は平静を装い「それじゃあ、案内でも頼もうかな」と口にした。握った彼女の手は冷たかったが、何故かとても安心した。

 

 駅の改札を出て、公園に向かう道は、若いカップルでとても賑わっていた。二人で並んで歩くには少し窮屈に感じる男女二人組の人混みを見て、「私たちもカップルに見えてるのかな?」なんて事を彼女は呟いた。いつものからかいだと分かってるのであえて反応はしない。顔を逸らして歩いていたから、彼女の耳が少しだけ赤くなっていることに気が付かなかった。

 公園に行く手前、横断歩道を渡ったところにクレープ屋の屋台があった。店主がいつものタコ焼き屋のオヤジではないことに安堵しつつ、「なにか頼んでいくか?」と聞いてみる。こういうのは、私の柄じゃないんだけどね。と言いながらも、彼女は細かく注文を入れていく。ものの2分ほどで出来上がり、彼女は繋いでいない方の手を使い「ありがとう、いただくよ」と受け取った。クレープ屋の横にあるベンチに座り、暫く彼女が食べているのを見つめていた。「そんなに見つめられると、少し照れてしまうよ」と彼女は照れていたけれど、己は気にしないでくれ、と言って見守り続けていた。

 クレープも食べ終わり、少し休んでから己たちはまた公園の方に向かい始めた。先ほどまで居たカップルたちも気付いたらほとんど見る影も無く、公園内もランニングしている若者ぐらいになっていた。「いいじゃないか、このぐらい人が少ない方が尾行はしやすいってものだよ」彼女は髪を指に巻きつけながら、微笑んだ。

 池の畔まで来ると、彼女はそばにあったベンチに腰を下ろした。「なんだかこのベンチで君と居ると、あの時の事を思い出すな」「あの時って?」彼女が訊ねる。己は恥ずかしくなって顔を逸らしつつ、「ほら、アレだよ。君に依頼された時のことだよ」そう言って顔をベンチの方に戻したとき、風が強く吹いた。つい目を閉じてしまい、再び開けた時には、ベンチには誰も居なかった。

 朽木冬子に勝てる日は来るのだろうか。僕は小さく呟いた。